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イブラシル暦 684年 10月 /ジーン・ミカゲ

 冒険者と関わる仕事を開始してから昔の知人と再会することが多くなった。
 なぜなら、昔の知人はほとんどが未だ現役冒険者だからだ。
 いい加減、腰を一箇所に落ち着け、手に職でも持ち、幸せだったり不幸せだったりする自らの家庭を築くべきだろうに、全く。
 とはいえ、私同様に一度その願いを持ちながら、結局それが果たせず再び旅の空に身を委ねるどうしようもない奴もいるもので…
 今日、蒼龍の塔からやってきた男は、まさにその典型だろう。

「いらっしゃいませー」
 扉を開く音に反応して、顔を上げながら営業用の挨拶をかける。
 逆光を背に、男のシルエットが描きだされている。
 整えやすさを優先したような短髪とがっしりした体つき。肉体労働者を連想した。
「よぉ、邪魔するぜー」
 その声と、逆光の中でにやりとあげられた口の端で私は気づく。彼の名はジーン・プレサリオ。いや、今の名前はジーン・ミカゲか。歳は私同じぐらいの四十路ちょいで、今も昔も鍛冶職人として活動していたはずだ。
 奥さんに逃げられたとはいえ、彼には子供がいるのだからそちらに集中すればいいのものを。たまには帰っているらしいが、子供を知り合い夫婦に預けて旅三昧の日々を十五年も続けている。
 なお、彼と最初に出会ったのは二十年。私とはときたまに言葉を交わす程度だったが、記憶にはありありと彼のことが残っている。ロクなことをしない奴だが、類は友を呼ぶのか結構な数の-そして意外な知り合いと群れて何かやっていたことを覚えている。
 特に覚えているのは、彼が一度のギャンブルで一万シリーンを使ったということで、残念ながら私とは価値観があまりにも違う男だ。
 とはいえ、配偶者の失踪という結末はお互い同じなのだからまったく嫌になる。彼は失踪、私はプラス離縁状付きという違いがあるとはいえ。

 そんな何かと相性の悪いジーンを見つめ、ため息まじりのつぶやきを吐き出す。
「はあ、損した」
「何がだ」
 聞きとがめたジーンの問いに、私は面白くもなさそうに答える。
「愛想を使って損した」
「愛想だって?」
「そう、私のいっらしゃいませーが無駄になったじゃないか。君、今すぐ私のいらっしゃいませーを返しなさい」
 差し出した私の手のひらを、ジーンはしばらく何も言わずに見つめていた、が。
「…オマエはこんな店を構えて、売りものは喧嘩だけか」
 ジーンの言葉に、私たちは好戦的な眼差しを向け合って、次の瞬間声もなく笑いあう。
 そんな具合に、旧知との再会は、素晴らしく無意味な言葉の応酬で始まった。

 それでも、彼を応接間に招いたのは懐かしさもあるが、現役冒険者でもある彼の情報を求めてのことだった。
 彼が「蒼龍の塔」という謎の多い施設のある地方に行っていたこと。それはまさに、今私が抱いている興味の対象だった。
 ミルシア南部に忽然と聳え立つ塔。誰か建てたのか、何のために建っているのか、中はどうなっているのか、未だ情報はまったくない。冒険者たちも詳しい情報を得ることなく素通りしていくためだ。
 だが、期待に反してジーンの話はいずれの答えも示しはしなかった。思わず不満を鳴らすと、奴は口の端だけ吊り上げて笑う。
「仕方ねーだろ。ふらっと塔に中に入っていった奴が、すぐに塔の壁を吹っ飛ばして退出させられた様を目の前で見たんだ。ぜってームリ」
 その様子からすると、「何か」があるというのは確実なのだが…それ以上は今は知ることができないようだ。まあ、冒険者と命知らずを分けるのは、危険に対する判断力だからね。傍から見ると、まったく同じに見えるのだが。

 しばらく、そのままジーンとは雑談が続いた。付近のPKが厄介だから町に逃げるだの、久しぶりに鍛冶仕事をするだの、それにしてもこっちでは鍛冶に手間がかかるという愚痴だの。
 それらがひと段落して、ジーンはふと深刻ぶった表情をする。
「で、だ。噂ぐらいは耳にしてないか?」
 主語を略されても困惑するだけだ。私は曖昧に小首をかしげる。
「トボけんな。鳴沢御影。失踪しちまったアイツだよ」
「ああ、君の奥さんだったね。って、まだ探しているのか?」
 もう十五年も前のことだろという言葉を飲み込む。彼にとってそれは、終わって風化を待つ出来事ではなく、未だ過程にあることだったからだ。
「私の知る限り、その名前を耳にしたことはないけど…未練だねぇ」
 しかし、思わず率直な感想がもれる。私も理不尽な別れは何度も体験しているが、全ていつの間にか痛みは薄れて、生活の慌しさにまぎれてしまう。星も見えない夜の寝床で、独りを静寂に思い知らされたときに胸を鈍く刺す想いを抱くぐらいだ。
「他人事みたいに言うなよ、キョウスケ。オマエもあるだろ、大切なものがいなくなって、理由もわからなくて、ただぽっかりと穴が残された気持ちが。理由を知りたい、防げなかったのか、元に戻れないのか、その想いが、ジクジクと狂おしく痛んでたまらなくなる」
 最初の妻の顔がふと頭を頭をよぎったが、遠い記憶の輪郭は朧に揺らいで定まらない。
「まあ、わからなくもないよ。ただ、それも気持ちだからね。気持ちに開いた穴なんて、とりとめもないことに埋まっていく。誰かに癒されていくこともなしに、傷は勝手にカサブタになってしまう」
 代替行為や妥協。それがないと人の生き方はえらく苦しくなる。器からこぼれ落ちた水を拾おうとするように。
 ジーンは私の言わんとしているところは理解してくれたのか、ソファの背もたれに身を投げ出して天井を眺めた。
 だが、彼の口をついたのは強い意志。
「けどな、オレにとって御影が開けた穴は御影でないと埋まらないんだ」
 私と彼の違いを端的に表すとしたら、聞き分けのないこの一言だろう。私はこんなに身勝手に何かを追い求めたりできない。折り合いをつけることはできるが、一方を完全に捨てるなんてできない。
 そんな私の言葉は、もはや彼にとっては邪魔な雑音そのものだろう。
「わかったよ、ジーン。アストローナ大陸を探し回って見つからずにイブラシルまできたのだろう。私も探せる範囲は探してみよう」
 できる限り彼の希望に叶う言葉を選びながら、私はこの話題を終わらせようと少し急いだ。眩しい想いを抱くジーンと相対することが辛くなったからだったかもしれない。
 ジーンもそれを察したのか、短い感謝の後は散り散りになった昔の仲間について、彼独自の毒舌交じりの思い出話をし始めた…


 しかしまあ、この時は自分こそが感情に折り合いをつけれるまともな人間なような口ぶりだったが、今読み返すとずいぶんと私も知ったような口を叩いていた。
 今、窓に切り取られた風景。夜空に鮮やかな光を浮かべる下弦の月を見て、最初の妻がいなくなった夜と同じ月の陰りだと思い出している。
 あの時、世界は夜そのものに思えた。欠けゆく月の照らし出す果てない夜。

 今も欠けた月が、何かを失っていた私をただ照らし出す。
 心に影を伸ばすのは、私が見切りをつけた全てのこと。その中には、きっと…

 さて、ペンが自制を失った言葉を吐き出す前に投げ捨て、今日は眠ろう。きっと目覚めれば、慌しい日々が私をそぎ落としていってくれるのだから。
by yugi-B | 2005-06-14 22:08 | 週報


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